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本部企画〜未来の縮図〜

マジックワード

 「本部企画」という言葉がある。普段は何気なく使っているこの言葉だが、その説明を求められる度に僕ははたと困ってしまう。「本部企画には本部実行企画と本部後援企画とがあって・・・」とか「駒場祭の顔となるような企画だ」とかと、一応説明はするものの、頭のどこかでしっくりこない。どの説明も一応当たっているような気がするし、外れているような気もする。今まで何回も本部企画の説明をしてきたが、その度に疑問は強まるばかりだ。

 なぜ「本部企画」という言葉はこんなにも説明しづらいのだろうか。それは、僕自身がまだこの「本部企画」というものを完全に理解していないということもあるだろうが、それだけではないような気がするのだ。

 言葉は必ず意味を持っている。逆に言えば、意味を持たない言葉は言葉ではない。それは単なる音でしかない。僕たちは、多少のズレはあるものの、その言葉の持つ意味を大体は共有している。そしてその言葉を使って、意味のやりとりをしているのだ。

 しかしそんな言葉の中に、ある特定の意味を持たない言葉がある。いや、引き出せないといった方が近いかもしれない。その言葉の響きが人を「理解した」と思わせてしまうからなのか、全く意味を持たないからなのか、あるいは逆に持ちすぎているからなのか、いずれにせよ、意味を引き出せない言葉-マジックワードが、この世にはいくらか存在する。

 「本部企画」という言葉もそんなマジックワードの一つだ。この言葉からは、ある特定の意味を引き出すことはできない。なぜならこの言葉はAlmightyな言葉だからだ。例年駒場祭において、新しい概念を言い表すのに、悪く言えば正当化するのに、「本部企画」という便利な言葉が使われてきたからだ。その結果この言葉は、つかみどころのない言葉となってしまったのだ。

 「本部企画」という言葉の箱の中には、たくさんの意味が詰まっている。Almightyな言葉であったが故に、たくさんのものが込められている。「本部企画」というものを理解し、そしてそれを第三者にきちっと説明できるようになるためには、その箱に込められた意味を一つ一つ整理していかねばならない。それは大変な作業ではあるが、しかしやる価値のある作業だと僕は思う。なぜならその箱にはたくさんの可能性が入っているからだ。いわば本部企画は、「可能性の海」なのだ。

可能性の海

 ものごとは全て変化していく。時の流れと共に緩やかに変わっていく。駒場祭もしかりだ。毎年毎年何らかの新しい試みが行われては、その結果が次年度に引き継がれ、駒場祭は徐々に変わっていくのだ。

 そして本部企画を担当とする「企画局」という部局は、その新しい試みが常に行われてきたところでもあった。なぜなら「本部企画」では、前年の内容をそのまま行うことはできない。前の年と全く同じ企画を打ったり、選んだりすることはできない。企画局にとって前年度の内容は、模倣すべき手本なのではなく、越えるべき壁であったのだ。そのため毎年毎年新しい試みが、「本部企画」というものを通じて行われてきた。

 その新しい試みは、ただ単に「企画局での」試みにとどまらない。その年の駒場祭全体の試みということもできる。毎年毎年の駒場祭で描かれてきた、そして次世代へと託されてきた、様々な試みが-可能性が、そこには込められているのだ。

 本部企画とは未来の縮図である。その中に詰まったたくさんの可能性は、未来に花咲く種である。そしてその種は、一年一年少しずつ蓄え生み出されてきたアイデアの結晶である。しかしその種を開花させるという作業を行わなければ、やがてその種は朽ち果ててしまう。開花する作業をせず、このまま蓄えてばかり行くのならば、本部企画の持つ意味は更に広がり、可能性の海は混沌の海へと変わり、最後には何をも意味しなくなってしまうだろう。

 未来の縮図としての本部企画、それに込められた可能性達を、次の章で一つ一つ整理していこう。

本部実行企画〜隙間を埋める存在〜

 「本部企画」と聞いて一番ピンとくるのは、本部実行企画---駒場祭委員会本部が実行する企画のことだろう。他大学でいうところの前夜祭やコンサートなどのような企画がそれにあたる。実際昔(といっても9年くらい前)は、本部企画と言えば本部実行企画のことを指しており、数多くの本部実行企画が行われていた。

一例
Clock Tower Project〜風の旅団講演(39回)、教養学部を考える(40回)、オリエンテーリング(40回)、90年代の東大生大解剖(41回)、私の大学改造計画(41回)、クラス・サークル対抗歌合戦(42回)、三輪車レース(42回)、仮装パレード(42回)、映画祭、グランドフェスティバル(この2つは定番の本部実行企画だった。)

 本部実行企画は、普通の企画では行えない、本部ならではの企画を目指したものが多かった。そしてまた駒場祭を代表するような、大きなテーマを掲げた企画が多かった。こういった理念は現在の本部企画にも受け継がれているものであり、「本部企画」がどういうものであるかを考える際の、大きな足がかりとなるものである。これらの理念を、より深く眺めていこう。

 学園祭の定義は何かと言えば、僕は「複数の企画の集合体」と答えるだろう。模擬店、講演会、研究発表、音楽演奏・・・そんな色々な企画が合わさって、駒場祭というジャングルを作り出しているのだ。そんな複数の企画の集合体である駒場祭だが、しかしいくら「個」の企画が集まったからといって、「全」にはならない。色々な企画が集まっても、そこにはカバーしきれない「隙間」が出てくる。個の企画では生み出せない「色彩」がある。そのカバーしきれない「隙間」とは何か、生み出せない「色彩」とは何か、それは総合的な、全体的な視点からの企画、すなわち「公共性の高い」企画であり、そしてまた、「(色々な意味で)規模が大きな」企画でもある。

 サークル内の学生だけでなく、東大生全てを巻き込んでの企画、そして、多くの来場者に参加してもらえるような企画、先の例で言えば、クラス・サークル歌合戦や仮装パレード、オリエンテーリング、グランドフェスティバルなどは、普通の企画ではなかなか行えない企画である。しかしこういった企画は、駒場祭という場全体を盛り上げるには、駒場祭により多くの学生・来場者が参加してもらうには大いに必要となる企画でもある。「個」の企画では補えないきれない「公共性の高い」企画、その隙間を埋めていくのが、本部企画の一つの役割と言えるだろう。

 そしてもう一つ、「個」の企画だけでは補えない隙間がある。その隙間とは色々な意味で規模の大きい企画である。先ほどの、「多くの学生・来場者を巻き込んで」ということも規模の大きさの一つとなるだろうが、それだけが規模の大きさではない。金銭的にも、場所的にも、内容的にもスケールの大きな企画があるのだ。他大学の前夜祭やコンサートなどはまさにこれにあたるだろう。例えば慶応大学の三田祭のコンサートでは、その経費に約1000万もの金額をかけていると聞く。そんなことが一企画にできるはずもない。それは学園祭の実行委員会でしかできないだろう。

 過去の駒場祭でもそんな規模の大きな、スケールの大きな本部実行企画が存在した。「風の旅団」という劇団を呼んでの上演会(この企画はいろいろな問題を引き起こしたが、ここでは詳しく触れない)、Clock Tower Project、47回で行われた「Garnet Rage Live」などだ。こういった企画を行うかどうかはそれぞれの年で意見が分かれることではあったが、(なぜならこのような企画を打つことで確実に駒場祭の予算は圧迫されるからだ)このような企画を普通の企画で行うことはまず難しいだろう。

駒場祭の顔〜学内外へのアピール〜

 以上は主に「隙間を埋める存在」としての本部実行企画だったが、過去の本部実行企画を眺めてみると、本部実行企画の理念はそれだけではないように思える。そこにはまた別の、「駒場祭の顔」としての本部実行企画が存在する。

 本部実行企画は、駒場祭委員会本部が実行するのであるから、他の企画と比べると予算・広報などの面で大幅に優遇されることになる。そのため本部実行企画は、色々な意味でその年の駒場祭を代表する「顔」に、「目玉」になる。そのためその内容も、「顔」にふさわしい企画内容が考えられてきた。

 他の大学の学園祭を眺めると、よく学園祭実行委員会本部が講演会や研究発表などを行っているケースがあるが、そういった企画は駒場祭でも存在する。先の例で見ると「教養学部を考える」とか、「90年代の東大生大解剖」や「私の大学改造計画」などがそれに当たるだろう。これらの企画は、別に駒場祭委員会だからできるという企画ではない。別に一般の企画としても行えるものである。しかし、駒場祭という場を先導していく役割が駒場祭委員会にはあるという考えから、駒場祭委員会自らが、学外への顔としての、そして学内への手本としての企画を打っていた。

 そんな「駒場祭の顔」としての本部実行企画の内、過去の駒場祭委員会が重視してきたテーマは「大学外部・内部へのアピール」であった。大学という場を通して、そして学園祭というものを通して社会全体に何かを訴える。内輪で閉じている学園祭ではなく、外部に対して何かを発信する学園祭を目指そう、そしてまた、内部に対しても多くのものを発信していこう、そのような本部実行企画を、過去の駒場祭委員会は目指したのだ。

 そのため扱う内容も、「教養学部改革とは何か」とか「大学改造計画」などの、どちらかといえば硬派な内容のものが多くなっていた。しかしその傾向は、近年になっては薄れてきているといえるだろう。

 以上のことから、「本部企画」という言葉がもつ意味を2つ引き出すことができる。一つは、「個」の企画では補えない、「隙間を埋める存在」としての本部企画 もう一つは、大学外部・内部へのアピールを重視した、「駒場祭の顔」としての本部企画だ。

 これらの理念はあくまで本部実行企画の理念ではあるが、後述する本部後援企画などにも引き継がれている、「本部企画」の柱となる理念であると僕は思うのだ。

本部後援企画〜代役という枠を越えて〜

 今までは本部実行企画--駒場祭委員会が立案・実行する企画--の話だったが、本部企画は本部実行企画だけから成り立っているわけではない。むしろ近年では、本部実行企画は珍しい部類になってしまっている。現在の本部企画の主流となっているのは、本部実行企画ではなく、「本部後援企画」という形態だ。ここからは、その本部後援企画--普通の企画の中から駒場祭委員会が選定し、資金・広報などの面で大幅にバックアップしていく企画―について考えていこう。

 

 昔(といっても10年くらい前)の本部実行企画全盛期においても、本部後援企画のような形態、すなわち駒場祭委員会自らが行うのではなく、駒場祭委員会がバックアップする、後援としての形態は存在していた。しかし本部後援企画はあくまで副、すなわち本部実行企画の代わり、代役としてのものであった。

 当時の本部後援企画は、「外部持ち込み」と「内部持ち込み」というものであった。これは本部企画のアイデアを、イベント会社などの大学外部からの持ち込み(外部持ち込み)や、大学内部の普通の企画からの持ち込み(内部持ち込み)によって募り、駒場祭委員会がそのアイデアを検討、その後は駒場祭委員会が主催・あるいは共催・後援となり、資金・広報の面でのバックアップを行うというものである。内部持ち込みの場合は企画の人に駒場祭の委員(公募委員)になってもらっていたということから見ても、本部後援企画が独立した形態で存在していたというよりも、本部実行企画の中で、他からアイデアを募る特殊な形態があったと言った方が近いだろう。そのため名称も、本部実行企画と同じ「本部企画」という名称を戴いていた。

 しかしその後第39回駒場祭において、本部後援企画は「委員会援助企画」という名称で独立することとなり、「本部企画」は本部実行企画のみを指すようになった。独立したというと聞こえはいいが、実際は「本部企画」の枠の中から切り捨てられたと言った方が近いように思える。確かなことはわからないのだが、本部実行企画が充実して行くにつれて他からアイデアを募るという形態は必要性がなくなっていき、その結果「委員会援助企画」という枠へと押しやられ、財政的な援助などのレベルも低くなっていたのではないだろうか。それは次の年の第40回で委員会援助企画の数が半分近くにも減り、第42回では「委員会推薦企画」と名を変え、第44回では「優先掲載」(この制度は現在でも残っている)というプログラム上での優先的な広報だけに援助が限られていったことから、大まかにではあるが推測できることである。ただし、「委員会援助企画」と「委員会推薦企画」とで実際どのように援助方法に違いがあったのかはわからない。

 このように「本部後援企画」という、学内(あるいは学外)から広くアイデアを募り、その後駒場祭委員会が選定して、共催・後援となって大幅に援助していくという形態は、昔は本部実行企画の代役として位置づけられ、そしてその後は代役からも外されて、徐々に衰退していったのである。

 しかし現在の「本部企画」を眺めてみると、それに占める本部実行企画と本部後援企画とのウエイトは明らかに昔と違う。逆と言ってもいい。一体どのような理由からこのような逆転現象が起こってしまったのであろうか。

 その理由はいろいろあるのだろうが、大きい理由としては本部実行企画の衰退が上げられるだろう。80年代後半のバブルの崩壊により駒場祭委員会の資金が大幅に減り、予算的に大きな企画を実行するのが困難になっていったこと、そしてまた企画実行の人手をなかなか確保できなくなったという事情から、本部実行企画の実行が難しくなり、そのため「代役」としての本部後援企画が復活し、徐々に隆盛を誇っていった。そして現在でもなお本部実行企画の実行は予算・人手的に難しいままであり、そのため本部後援企画の形態が主流になっているのだ。

 以上の流れを見てみると、やはり「本部後援企画」というのは「本部実行企画」の代役でしかないように思える。本部実行企画全盛期にはその存在は切り捨てられ、本部実行企画が衰退していくと再び「本部企画」の枠に取り入れられるという、「本部企画」という存在を残すための手段に思えてしまう。

 しかし近年の隆盛の中で、本部後援企画は単なる「代役」としての枠を越えつつある。本部後援企画についての様々な理念が考えられ、切り捨てではない、真の意味での独立した「本部後援企画」が形成されつつあるように、僕には思えるのだ。

 ここからはその、代役という枠を越えた本部後援企画の形態を眺めていこう。

特別援助〜保護と過保護と〜

 新しい形態の「本部後援企画」の一つ目は、援助の一形態としての本部後援企画だ。本部実行企画の代わりなのではなく、学内の一般企画への援助の一形態として本部後援企画を位置づけるというものだ。

 毎年駒場祭では予算の中から、無収入の企画(講演会や研究発表など、来場者から金銭を徴収しない企画のこと。当然必要経費は全て赤字になる)を中心に、現金や物品での援助を行ってきた。この援助は、申請があった企画全てを平等に援助するものである。

 より詳しく触れると、例えば物品での援助については、紙1000枚を2単位、マジック1セットを1単位などと定め、各企画は特定の単位数まで(去年は8単位)無償で物品をもらうことができた。現金については、援助申請企画に収支報告書を提出してもらい、駒場祭委員会で査定して赤字額を決定し、後はその赤字額の何割かを(補填率という)平等に援助していた。

 この方法は、企画の内容如何に関わらず、申請をした企画を全て平等に扱うものである。同じだけの物品を援助し、赤字額の何割かを平等に援助するものである。しかし例えば同じ5万円を援助するにしても、経費を切りつめて切りつめて5万円にした企画もあれば、本当は2万円ですむものが5万円に膨れ上がったところもある。そんな企画の内容・熱意などは、この方法では考慮することができない。この方法で審査する基準となるのは、あくまで数字で現れた赤字額だけである。

 そういった企画の内容などに関わらず、全企画を平等に援助する方法(五月祭ではこの援助方法を「横の平等」と名付けた)に対し、その企画の内容や人数、熱意なども考慮に入れて援助をしていくという方法(この援助方法は「縦の平等」と言われている。)も必要なのではという意見が生まれ初め、そしてその援助方法の一つとして「本部企画」が位置づけられたのだ。

 「縦の平等」の援助方法、企画の内容などに応じて援助額を決定していく援助方法で問題となるのは、その企画内容などの判断をどう行うのかということである。全企画に企画書を提出してもらって、それを全て読んで判断していくということは並大抵のことではない。そういったことを新たに行うことはかなり難しいだろう。新たな方法ではなく、現在の制度の中で「企画内容を判断する」ためのうまい制度がないかを探した時、本部後援企画の「選定」という行為が注目された。この選定という行為の中で、企画の内容・予算・実現可能性などを、実際企画の人にもプレゼンしてもらって、委員会が判断し、そしてそれに応じて援助をする。ここに、「縦の平等」の援助方法--これを特別援助とここでは呼ぼう--という、本部後援企画の新たな役割が生まれたのだ。

 この特別援助で一番の焦点になるのは、どのような企画を重点的に援助していくかである。これは本部後援企画の選定基準そのものともいえる、非常に重要な問題といえる。

 この「どこに重点を置くか」という問いに対して一定の答えを出したのが第46回の駒場祭である。この年の駒場祭で打ち出された考え方は、「マイノリティーの保護」、「多様性の確保」である。

 アイデアはすばらしくても、その実行に多大の金銭が必要な企画や、すばらしい内容でも扱うテーマがあまり一般受けしない企画、少人数の企画などは、企画の競争原理の中ではいつか費えてしまう。そんな企画を救済し、駒場祭の企画の多様性を確保するために積極的な援助を行っていこうというのが、この考え方の趣旨と言える。

 これは駒場祭委員会を国ととらえるならば、生活困窮者に行うための生活扶助や、新しい産業(例えばゴミ処理など)に対して行う優遇措置などと考えることができる。そうして駒場祭における様々な企画を保護していこうというのだ。

 この「多様性の保護」以外の考え方としては、駒場祭の顔となるような企画に重点的に援助して、更に企画内容を充実させていこうというものがある。これは先ほどの国の例で言うならば、自動車や半導体などの産業に重点的に援助して、国の特産商品を充実させていこうというものだろう。そうすることによって、駒場祭そのものを発展させていこうというのだ。

 しかしどこに重点を置くにせよ、この特別援助について考えなければならないことは、駒場祭委員会が自らの判断で全体からの徴収金を特定の企画に振り分けているという事実である。そのある特定の企画を優遇するということは、果たして駒場祭全体にとって必要な「保護」であるのか、それとも不必要の「過保護」となるのか。その「保護」と「過保護」とを見極めていかなければならないのだ。

架け橋としての本部企画

 以上本部実行企画と本部後援企画の様々な意義について述べてきたが、最後に僕が挙げたいのが「架け橋」としての本部企画だ。そしてこの架け橋が結ぶものは、「企画側」と「運営側」、つまりは参加企画と駒場祭委員会という二つの要素だ。

 企画と運営はともすれば対立しがちな要素だが、駒場祭の実施に当たってこの二つの要素の連携は不可欠である。企画側が運営側を理解し、そして運営側が企画側を理解する、そんな相互理解があって初めて駒場祭をスムーズに行うことができる。そして企画側が運営に参加する手段として「運営委員」や「清掃チェック」といったものがあり、運営側が企画を理解する手段として「本部企画」というものがあると僕は考える。

 本部自らが企画を行う本部実行企画はいうまでもなく、本部後援企画という形態にも「架け橋」としての重要な意味がある。むしろ参加企画との交流という意味では、こちらの方が強いだろう。プレゼンテーションや、その後の選定企画同士との打ち合わせ、広報冊子での取材、駒場祭終了後の反省、そういった行為は、企画を知るという意味で駒場祭委員会にとって意味あるものである。そしてまた本部後援企画は、駒場祭委員会と企画とを結びつけるだけでなく、企画同士のつながりをも強化することができる。選定企画同士のつながり、またはプレゼンテーションでの他の企画とのつながり、そして広報冊子を読むことによって生まれるつながり、普段は自分の企画にしか興味が向かない傾向にある企画同士のつながりが、本部企画を通して生まれるのである。

 時と共に、様々な人たちの試みにより変わり続けた本部企画。そしてまたこれからも本部企画は変わり続けていく。そんな未来の本部企画を夢見つつ、本部企画の意義を探るこの旅も一時終了としたい。


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