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第21回駒場祭〜第25回駒場祭
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第21回駒場祭
1970年(昭和45年)11月1〜3日
団結を! 連帯を! 統一の旗の下に

 69年の入試中止のため、1年生1学年だけで行われたが、公害問題、教育問題を中心にクラス企画も多く、また、東大闘争の成果の一つとして始まった駒場の自主ゼミからの企画もあり、多彩なものとなった。一号館が喫茶店のデパートとなったのはこの頃から。委員会側は赤字を出さぬよう財政面ではかなり苦労したようだ。

第22回駒場祭
1971年(昭和46年)11月12〜14日
破産通告に揺らぐ侵略者の砦
友よ、今こそ歴史の舞台に飛翔せよ!

 沖縄返還協定粉砕の長期ストの中で68年に続き2度目のストの中の駒場祭となった。企画内容ではやはり沖縄問題が中心となった。時間が十分とれたため、大半の企画が初日までに準備を終えることができたと言う。また、この期間、銀杏並木には工事で溝ができ、渡ると泥だらけになってしまった。なぜか水飴がやたらと売れた。

第23回駒場祭
1972年(昭和47年)11月17〜19日
眼ざまし時計のベルを鳴らせ
睡り込んだ教養学部を呼びさまそう
若き生命の問いかけに応えうる大学の創造を

 学費闘争の中で大学をとらえる企画が目立った。公害問題、列島改造論に関する企画も多かった。路上で行われた10メートル四方の大麻雀が人気を集めた。駒場祭への取り組みの遅れが慢性化。模擬店や喫茶店が手っ取り早いものとして急増する。ロマンポルノ弾圧事件に関してディスカッションが行われたが、映写会にのみ人が集まった。タコ焼きがよく売れた。

第24回駒場祭
1973年(昭和48年)11月9〜11日
我等の開く扉は
真に人民に貢献する学問の扉
我等の開く扉は
日本の文化を豊かにする扉
我等の開く扉は
真に日本の平和を築く扉
我々の開く扉は
我々自身の力で開く扉

 初日、二日目と雨だったが、最終日は日本晴れで3万人の人出を集めた。革マル派と中核派が相次いで内ゲバを起こした銀杏並木もこの日ばかりは模擬店や来場者で賑わった。本部と生協主催の日フィルコンサートが満員となる一方、ロック研が呼んだキャロルとチューリップの公演にも長蛇の列ができた。歌手公演が企画のメインになりだす。

第25回駒場祭
1974年(昭和49年)11月15〜17日
駒場の学友諸君、駒場を訪れたみなさん、
ともに唱い、ともに語り、
友情と連帯の輪を築きあげましょう!

 写真を基調にした奇抜なデザインで人目を引いたポスターは「型破りで面白い」「破廉恥きわまる」と賛否両論。本部企画の「刑法改正」「教科書裁判」などのシンポジウムは熱心な聴講者を集めた。他に岡本太郎、永島慎二、小林麻美、カルメン・マキ&OZらが来た。「東大生実態調査」が行われた。クラス映画で「愛と誠」の撮影中、ケチャップまみれになった役者を見た近くの主婦が内ゲバと勘違いして一一〇番、機動隊が出動という珍事件もあった。


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