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第41回駒場祭〜第45回駒場祭
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第41回駒場祭
1990年(平成2年)11月23〜25日
駒場に来た 東大生を見た

 バブル経済に乗って750万円の広告収入を集め、大いに委員会財政は潤った。今上天皇の大嘗祭と日程がかち合い、過激派の動向が心配されたが、当日は特に影響は出なかった。しかし、夜間ボヤが頻発、消防署が現場検証を行うなど、むしろ夜に問題が起こった。内容的には天皇制を問う企画が目立った。「私の東大改造計画」として、予備校講師、元自治会委員長などが激論をかわす企画が好評であったが、全般的に目新しい企画は少なかった。

第42回駒場祭
1991年(平成3年)11月22〜24日
何か少し、変わるかもしれない

 この年から、大量に出るゴミをきちんと分別することが学部側から求められるようになり、現在も行っている環境対策が意識され始めるようになった。平日にあたる1日目の客寄せのため、クラス・サークル対抗の歌合戦や、三輪車レースなどが本部企画で行われたが、大した効果はなかったようだ。また、PKO活動の問題がマスコミを賑わし、これをテーマとした企画もあった。講演会には、呉智英氏、黒川紀章氏らが訪れた。また、オウム真理教の関連団体のメンバーらが、運動場に巨大なアドバルーンをあげたり、信者が銀杏並木を行進するなどの行動をとった。

第43回駒場祭
1992年(平成4年)11月21〜23日
開殻

 スタッフが女装するという喫茶店に「ゲイバー」という名称をつけた企画に対し、同性愛者の団体から同性愛に関し誤った認識を生むおそれがあるとして、企画名変更を求めるよう抗議があり、結局企画団体が折れて名称を変更することとなった。また、オウム真理教の教祖麻原彰晃氏の講演会に対し、宗教団体の発行する書籍を無料配布するなどの事前の確認書違反の行為があったとして、講演会中であるにもかかわらず、900番教室のブレーカーを落とし、強引に企画中止にさせるという事件が起こる(別の項で詳しく説明しています)。また、この頃から、オウムに限らず新興宗教系の企画が目立つようになってくる。講演会では、天野祐吉氏、小池百合子氏、西尾幹二氏らが好評だった。

第44回駒場祭
1993年(平成5年)11月21〜23日
(統一テーマなし )

 91年に駒場寮の廃寮と新しい学生宿舎を建設する構想が発表されて以来、駒場寮自治会などの団体は廃寮反対運動を行ってきたが、その一環として、「駒場寮存続を考える」というスローガンのもと、加藤登紀子コンサートが駒場祭最終日に開かれることとなった。当日の参加者は4000人にも上ったが、主催団体が企業広告入りのパンフレットを配布するなどし、問題視した駒場祭委員会ともみ合いとなるなどの騒ぎとなった。従来は財源の多くを各企画からの割当金と広告収入に頼っていたが、バブル崩壊の影響で広告収入が約270万円になるなど激減したこともあり、財源の安定化のために、割当金を廃止する代わりに翌年の新入生全員から運営費を一括に徴収することになった。この年、夜間居残りをして酒を飲み過ぎ、救急車で運ばれた人が4人も出るなど、夜間の宴会行為が以後問題となってくる。教養学部のカリキュラム改革をテーマとした本部企画が開かれた。加藤周一氏、なだいなだ氏、猪瀬直樹氏の講演会がそれぞれ人気を博した他、体罰を取り上げた模擬裁判の企画が登場した。

第45回駒場祭
1994年(平成6年)11月18〜20日
いましかできないことが いまあるはず

 学部側から休講日数をできるだけ短くするため、駒場祭の日程を11月3日近辺に移すよう要望があったが、準備時間が不足することを駒場祭委員会は主張。幾度かの交渉を経て、日程は例年通りだが、前日の準備日の休講は4限以降とすることとなった。講演会には、田中秀征氏、米本昌平氏らが訪れた他、江川達也氏と岡田斗司夫氏らのパネルディスカッションがあった。自転車部が仙台からのランニングのゴールを駒場の正門に設定し、ゴールした人にビールかけをして人目を引いていた。これ以外にも無届けでの行列や御輿が度々起こるなどのハプニングが多い年でもあった。


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