駒場祭史(第40回〜第51回)

学園祭の環境対策

環境対策前史

第40回~第51回の時期というのは、日本のバブルがはじけ、様々なものが「自分らしさを探す」時期であったわけだが、駒場祭もその例外ではなく、不況の影響を受けた広告収入減・来場者減少と合わせ、様々な方向への発展を模索していた。そんな模索の一つが本部企画からはじまる「プロジェクト制」である。
「プロジェクト制」というのは、学園祭全体の運営に関わる委員とは違い、運営の一部に参加するプロジェクトメンバーを募って、様々な試みを行おうというものである。駒場祭は例年少人数で運営されており、他の学園祭にあるように大規模な企画を立てることができず、一般参加者の持ち込む企画を援助する方向でしか学園祭を盛り上げられなかったため、委員会運営への参加の門戸を広くすると言う意味で、第48回ごろから実行され始めていた。

時を同じくして、世界では環境保護に対する関心が高まり、学生の間でも92年の地球サミットを契機に、各国で運動が始まり始めていた。代表的なものが、アメリカのA Seedであり、この運動が日本に入り、A Seed Japanが生まれ、各大学でも環境問題を扱うサークルが生まれてきていた。東京大学でも環境三四郎という環境サークルが結成され、環境関連の講義を作ったり、「キャンパスエコロジー」という名前で学内の環境問題の解決を目指して活動を始めていた。そして、その活動の対象として、大量消費の象徴的な存在である学園祭、「駒場祭」が検討され始めてきていた。
また、この頃からごみ問題も深刻化し、その影響で、駒場祭で排出されるごみも削減・分別・リサイクルなどが求められるようになってきたが、駒場祭委員会は前述の通り少人数であり、抜本的な対策が行われることはなかった。
前置きが長くなったが、「プロジェクト制」「環境サークル」「ごみ問題」、これら3つの要素が組合わさって、駒場祭でも環境対策が行われるようになったのである。
初めてそれが形になったのは第48回駒場祭においてであり、ECO Projctという形で現れることになる。当時の主なメンバーは学内の環境サークル「環境三四郎」の構成員であり、彼らが深く関わっていた全国的な組織「エコリーグ」や個人的なつながりを利用して他大学で行われていた環境対策の情報・ノウハウを集めることで、ごみ対策は一気に進むことになる。

環境対策事始 ~まず、容器ごみを減らそう!~

まず始めに、彼らが方針として考えたのは、「環境負荷を減らすだけではなく、そのことをアピールし、どのように社会に訴えていくか」ということであった。
彼らが根底に考えていた「キャンパスエコロジー」では、キャンパスでの環境問題解決の運動を社会に広げていくことを最終目的としており、そのことが現れた格好であるが、これは期せずして学園祭が持つ、「社会へのアピール」と同じものであり、駒場祭が社会に対して発言する内容を深める結果にもなった。
ということで、対策は実際に環境負荷を減らすだけならず、目立つものでないといけないということになった。目立つものは何か。ごみの量である。他大学で始められた環境対策のデータによると、ごみの内訳の約半分が容器ゴミで占められていることが分かった。容器ゴミ。これが、まず最初のターゲットとなった。
容器ゴミを減らすにはどうしたらいいのか。普通に考えれば方法は3つある。1つ目は洗って再利用すること。これは、Dish Return Projectを略してDRPと呼ばれていた。2つ目はリサイクルすることである。こちらに関しては、まだ実践例がほとんどなかった。3つ目は環境負荷の少ない材料を使った容器を使うことであるが、これも実践例はほとんどなかった。
1つ目ののDRPについては、当時すでに慶応大学湘南藤沢キャンパスなどで実践例があり、ノウハウはあった。しかし、駒場祭はそれらの学園祭に比べ、あまりにも規模が大きすぎる。DRPでは、容器が確実に回収されるように、預かり金制度(デポジット制度)を利用していたが、その預かり金の管理や、貸し出せるだけの皿が用意できなかったのである。
また、3つ目の環境負荷の少ない容器も、当時はまだ実用的なものがなく、あっても効果が疑問視されるものや、高価で手が出せないものばかりであった。
そのため、第48回では、2つ目の容器リサイクルが行われることになった(なお、DRPも、第49回・第50回で、1区画でまとまって行うことで実現された)。
容器リサイクルの推進 ~前例なき大規模な対策~
容器リサイクルを行うことになって、一番問題になることは、「同じ容器を使ってもらう」ということである。大規模にリサイクルを行う以上、違う種類の容器が混じってしまうことは致命傷である。また、来場者にも容器と他のごみを分別して捨ててもらわないといけない。そして、回収された容器を(衛生面から)洗浄しないといけない。プロジェクトは大きな壁にぶつかった。
しかし、それを乗り越えることが一応できたのも、駒場祭の持つ規模の力であった。模擬店の容器注文をとりまとめ、まとめて業者から大量購入することで、模擬店で使用される容器を統一させることができた。第48回では委員会に赤字が出たものの、第49回以降ではコスト計算をすることで、赤字を出さず、しかも市価より安い値段で模擬店が購入できるようになった。環境対策という方向だけでなく、経済性を訴えることで、同一の容器を採用させることに成功したのである。
また、ゴミ分別も、企画参加者とECO Projectメンバーによる再分別の仕組みを整えることで、急速に完成度を増した。このことは、容器ごみ以外のものに含まれるリサイクル可能な資源を掘り起こすことにも成功した。対策以前のデータがないため正確な数字は出せていないが、廃棄物として捨てられるものは対策以前と比べ、大幅に減っている。
そして、容器の洗浄も、第48回ではうまく行かなかったものの、第49回以降にしっかりしたシステムを作り出すことで、分別された全ての容器を洗浄・リサイクルできるまでになった。そして、現在では駒場祭の一つの目玉となり、他の学園祭から情報提供の依頼を受けることも少なくない。

持続性の高い環境対策を目指して
~ごみ自体の量の削減への試み~

しかし、これらの対策は環境サークルを中心とした、やはり少数の人間によって運営されてきた。駒場は2年で人が入れ替わるため、一部の人に頼ったりするシステムでは持続性が維持できない。また、出てくるごみを分別しているだけでは、ごみの減量にも限界がある。そういった考えから、活動は少しずつ変化し始めている。
たとえば、「エコレシピ」と呼ばれるような、容器ごみを出さない・減らすメニューの推進である。たこ焼きをタコせんの上に載せて出すなど、容器も食べれるものにするという試みである。第50回から推奨を始め、行ってくれた模擬店には少しだけ負担を減らす等の優遇を行っている。
容器も、第51回から使い捨てのものに変更になった。当初リサイクルを選択したときには、環境負荷が少ない使い捨て容器が少なくリサイクルを選ぶことを余儀なくされていたわけだが、近年になって環境負荷の少ない容器が登場してきたことから、そちらに乗り換えることになった。これは、他大学とも共同で購入しており、かなりコストも低く、また、そのままでは捨てられるサトウキビの絞りかすなどを利用することで、外部の環境負荷を減らす試みである。これは同時に、学園祭内での人的コストを低下させることにも貢献している。環境問題を論じる側において、最近は持続性を重視する傾向が強いが、その流れに沿って変化し続けているのであろう。

広報

この文章を読んでいるあなたは、なにで駒場祭を知ったのだろうか。卒業生だから・近くに住んでいるからという場合、あまり広報をしなくても知ってもらえるのかも知れない。しかし、東大に関係のないひとを駒場祭に引き寄せるためには、広報の力が重要である。とくに来場者の減少が続く近年において、広報は重要視されるようになってきた。
三田祭に代表されるような、私立の大学の学園祭の場合、マスコミを利用した広報はたやすい。なぜなら、学園祭内で広告を利用することが比較的容易であり、マスコミが求める広報の代償を容易に提供できるからであり、また、予算の余裕・人員の余裕から有名人を呼ぶという単純な方法が採れるからである。それに比べ、駒場祭は国立大学内であることから広告行為は制限され、また、予算・人員ともに余裕もなく、大型企画を立てることもままならない。そのような状況の中、駒場祭の広報は、問い合わせに答えるだけという受け身なものになっていた。その傾向は現在においてもあまり変わらないが、それでも少しずつ変化を起こそうと、歴代の広報担当は様々な努力を行ってきた。
たとえば、Webの利用である。インターネットの急速な普及により、WWWを利用する人口も増えてきたため、重要な広報手段になっているが、駒場祭においては48期から本格的な利用が行われた。当初は開催期日と交通手段・主要な企画の案内を行うだけであったが、年々少しずつ充実させてきている。近年では、大学内でのインターネット環境の充実にあわせ、企画参加者向けの広報・事務手続きも合わせて行われるようになった。
また、当日の来場者向けのパンフレットも、DTPでデザインを行い、他の大学にはないハイレベルなものを提供している。当然ながら、他大学にない内容のものを行うということも地道な広報の一環である。第50回では環境対策がNHKのニュースで取り上げられた(蛇足ではあるが、自衛隊機の事故で時間は半分になってしまった)。
いずれにせよ、広報というのは永遠の課題であり、不断の努力が求められるものであろう。

夜間居残り

駒場祭では伝統的に夜間居残りが行われ、企画の準備や参加者の親睦が行われていた。駒場祭のもう一つの顔でもあったといえよう。
しかし、近年、その夜間居残りが存亡の危機に立たされている。夜間に事件が頻発するようになったためである。その中でも、酒に酔って行う迷惑行為が1番問題とされ、学部と委員会の間で毎年の懸案事項となってしまった。
といっても、飲酒による問題は別に近年に始まったことではなく、当然昔から存在はしていた。このことは、古い資料にある規約案に、「夜間居残り時は飲酒を行わない」という案があることからも伺える。しかし、第44回以降、飲酒により問題行為を起こしたり、救急車で運ばれたりする事件が急増した。
この夜間居残りが急速に問題化したのは、駒場寮「廃寮」も影響しているかもしれない。というのも、問題の多くは、昔は寮生などと協力して解決してきたと考えられるからである。また、近年では古い建物の建て替えにより夜間居残りを行えない建物が増えてきたことも要因の一つであろう。実際、立入禁止区域への侵入も多発し問題視されているが、居残り時立入禁止の区域が増えたため、問題が起こりやすくなるのは当然とも言える。とはいえ、学生の意識も低下し、親睦がただの飲み会になってしまっているという現状も見逃せないのではないか。
そういった状況の中で、第48回には学部の警報装置が設置されている区画への侵入が発生、それを受けて当日夜間居残りが一部中止になり、全面的な夜間居残り禁止が一気に現実味を帯びてくる。その反省をふまえ、委員会では警備を厳重にしたものの、第49回では企画に所属しない者やOBなどが喧嘩などの問題を起こし、企画参加者がこれを抑えることができなかった。このことから、第50回では一時夜間居残り禁止が決議されたこともあった。結局第50回でも夜間居残りは行われたものの、警備負担は参加者・委員会共に大幅に増える結果となった。第50回では大きな問題は起こらなかったものの、一時夜間居残り禁止が決議された効果があったことや、小さな問題は例年通り頻発しておりその意味では例年とかわらなかったことから、第51回でも厳重な警備体制を敷く予定である。
しかし、どんな警備体制を敷こうとも、駒場祭参加者全体を管理する体制を敷くことは不可能であり、また、委員会は警察ではないため自ずと行えることにも限りがある。さらに、「夜だけ参加」という人間や、OBなどまで周知徹底を行うことが難しいうえに注意を聞いてもらいにくいということも、問題を難しくしている。そして、根本的な解決策は、参加者の意識向上しかないのが困難を大きなものにしている。社会でモラル・ハザードという言葉が聞かれるようになったのと無関係ではないだろう。参加者にはもっとしっかりした意識を持ってもらいたいものである。

ミスコン「問題」について ~学園祭と商業化~

学園祭といえばミスコンテスト、そう思われる方も少なくないだろう。学園祭の華であり、各大学で行われているミスコン、しかし、東大では最近まで行われてこなかった。第38回で初めて計画されたものの、「女性差別である」という団体の抗議活動によって中止されて以来、第47回まで計画もされなかった。
これが第48回になって始まったのは、他の学園祭の商業化の影響が大きいと言える。ミスコンでは大抵、出場者にいろいろな理由を付け、賞品をだし、発表と同時にその賞品の宣伝を行う。また、近年では学園祭ミスになると、即芸能界デビューというルートも用意されるようになってきた。そして、学生もそのようなマーケティングに参加することが一般的になってきた。ちょうどバブルの時期であり、企業も学園祭をターゲットとするようになってきたわけである。
しかし、駒場祭では、学生の「自主学園祭」という理念から、外部団体の宣伝行為は厳しく制限されている。これは、外部の団体の影響で、学生の自主的な祭りがゆがめられることを懸念して行われている制限である。また、国立大学の敷地を利用することから、学部からも、商業行為は厳しく制限されている。このような状況で、何事もなくミスコンが行えるわけがなかった。
第48回でも、企画段階から細かく打ち合わせをしていたものの、当日になって学部・委員会・企画団体の3者で合意されていた以上の宣伝が行われ、特に学部に問題視されることになった。折しも不況のまっただ中、企業も協賛にシビアになっており、企業の宣伝をしなくてはいけない事情があったとは言え、事前に止めるよう言われたことまでしてしまったのは問題だったであろう。
そんなわけで、第49・50回とミスコンが行われたときにも様々な問題を起こしながら、ミス東大は合計3人誕生することとなったわけである。これらの経験をふまえ、企画団体も委員会も少しずつ、この問題をどう上手く扱うか、身につけ始めているようである。
そして、第51回では、ついにミスコンは本部後援企画になった。企業関係の問題を除けば、社会に一番注目される企画であることは間違いなかったわけで、ようやく、あるべき位置に着いた、と言えなくもない。個人的には意義がないと思っているはが、今年こそは、問題も起きず、無事に企画が実行されることを願って止まない。

一括徴収

駒場祭の財源は、近年まで広告と各企画に割り当てた割当金でまかなわれていた。しかし、バブル崩壊後の不況の影響で広告収入が落ち込み、財源が不安定になってしまった。例えば、バブル絶頂期の第41回の750万円から、第44回では270万円まで落ち込んでいる。このため、第45回から、新入生に対する運営費の徴収が行われるようになった(これと引き替えに企画への割当金は廃止された)。新入生からの徴収は入学手続の際に行っている。額は一人当たり2000円であった。しかし、不況の影響は大きく、第47回で赤字が出たため、第48回からは2500円へ増額されている。
もちろん、委員会の経費削減の努力は行われており、近年では赤字は出さなくなったものの、第51回では広告収入が110万円まで落ち込み、パンフの裏表紙から広告が消えるなど危機的状況である。広告の取り方などにも工夫が求められていると言えよう。

※上記文章は、第51回駒場祭(2001年11月24日〜26日)当時に執筆したものです。