本部企画~未来の縮図~

マジックワード

「本部企画」という言葉がある。普段は何気なく使っているこの言葉だが、その説明を求められる度に僕ははたと困ってしまう。「本部企画には本部実行企画と本部後援企画とがあって・・・」とか「駒場祭の顔となるような企画だ」とかと、一応説明はするものの、頭のどこかでしっくりこない。どの説明も一応当たっているような気がするし、外れているような気もする。今まで何回も本部企画の説明をしてきたが、その度に疑問は強まるばかりだ。

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オウム真理教と駒場祭

1.学生の「自主的活動」と外部団体

駒場祭は駒場祭委員会の規約で「駒場生の自主的活動の発表の場」と位置づけられていることもあり、駒場の学生のある意味貧弱な活動を覆い隠してしまうような力を持つ外部の団体(例えば企業、政党、宗教団体など)による直接の行為を規制している。実際には、政治家による講演、宗教系サ-クルによる出し物なども見受けられるが、これらは駒場の学生による団体を主催団体として、あくまで駒場の学生がそれらの団体を呼ぶことも含め主体的に企画したもの、とみなしてなされているのである。他大学の学園祭に行ったり、そのプログラムを手にしたことのある方なら、駒場祭はいかに企業の影が薄いか、ということがお分かりいただけると思う。それはこういった事情によるのである。

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「紛争」の中の駒場祭

1.「戦後」における1968年

1968年(昭和43年)、その年号とともに記憶されるべき事件はいくつかある。フランスにおける五月革命、チェコ・スロヴァキアにおけるプラハの春とワルシャワ条約機構軍による介入、サッカ-における釜本選手の活躍が著明なメキシコ・オリンピック、三億円事件など。だが、1968年当時学生であった日本人が思い出さざるを得ないものが「大学紛争」ないしは「学園紛争」と呼ばれた一連の騒動なのではないだろうか。敗戦直後に出生し現在50歳付近で日本社会を担うベビ-ブ-マ-と呼ばれる世代は、まさに時代の当事者であったのであり、傍観者であったのだ。

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駒場祭が生まれるまで

この文章は第1回駒場祭開催までの大まかな流れをまとめたものです。内容は多分に専門的(関係者向け)ですが、かなり良くまとまっており、駒場祭の黎明期を記した数少ない文章になることでしょう。文責は井上 東氏です。(外山)


第1回駒場祭が開催されたのは、1950年(昭和25年)の11月25~26日のことである。ここでは、駒場祭が開催されるに至った経緯を記してみたい。

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