第30回駒場祭(1979年:昭和54年)

第30回駒場祭

開催日時

1979年(昭和54年)11月23日~25日

テーマ

歴史を創り出す若人よ 真理の探究者よ
眩惑を断ち真実を見つめよ
若き魂の 不断の燃焼と昇華を求めて
新たなる時代へ旅立とう

概要

第30回ということで、前日全面休講が実現し、期日もこれ以降は3日間が完全に定着する。東大闘争直後から課題となっていた規約が制定に向けて動き出したが、不成立となり問題は先送りになった。解放派が駒場祭直前に駒場寮を占拠、警察を入構させる事態に続き、駒場祭期間中3日間にわたって(旧)233番教室を占拠。革マル派と接触し、小競り合いも起こった。企画数が700近くに激増。「モラトリアムの中の若者」といった企画もあった。

第29回駒場祭(1978年:昭和53年)

第29回駒場祭

開催日時

1978年(昭和53年)11月17日~19日

テーマ

目は太陽をとらえる 手は空へとのびる
しかし 足は地面から離れない
今こそ 土をつかもう 大地を見つめよう
我々は ここに立っているのだから

概要

サザン・オールスターズ、アグネス・チャンが目玉だった。撮影会では人だかりが正門の外まであふれ、構内に入るにも苦労した。硬派の企画でも、栗栖前統幕議長の講演会も300人以上の聴衆を集め立ち見も出るほどの盛況だった。この年から統一教会とつながりのある原理研究会が参加拒否となった。その後長く議論の的となるが、今に至るも解決されていない。

第28回駒場祭(1977年:昭和52年)

第28回駒場祭

開催日時

1977年(昭和52年)11月11日~13日

テーマ

迷妄の時代は 今こそ 新たな展望を求めている
沸き上がる無数の呼気の奔流
巨大な構想を担い 鳴らせ時代の暁鐘

概要

加藤周一氏の講演会に学生が殺到し、熱い討論となった。「宇宙戦艦ヤマト」の上映会も長蛇の列となった。前衛舞踏家の田中泯氏がストリップまがいの「ハイパーダンス」を披露し、問題となった。

第27回駒場祭(1976年:昭和51年)

第27回駒場祭

開催日時

1976年(昭和51年)11月19日~21日

テーマ

見つめよ 我等生きんとする時代を 語るがいい
輝く未来を 創ろうではないか 我等の手で

概要

哲学研究会と共催の本部企画「現代社会と物象化」が最大の人気を集めた。”遊び”ムードの強い駒場祭では本部企画は低調な年が続いたが、この企画には300人を越す入場者であふれた。女性人気タレント投票で一位になった太田裕美を応援部が第一回淡青祭に出場させ、人気を集めた。

第26回駒場祭(1975年:昭和50年)

第26回駒場祭

開催日時

1975年(昭和50年)11月14日~16日

テーマ

広場へ行こう こんな時こそ こんな危機にこそ
駒場のエネルギーを感じたい 駒場の広場は
皆が話し合う 皆が理解し手を結びあう
駒場の英知と創意とエネルギーの総結集だ!
壁を知らない青年の可能性だ! サァ広場へ

概要

駒場祭を控えての10月27日、構内で革マル派の東大生が反帝学評と見られる学生の集団に鉄パイプで襲われ死亡するという惨事が起きた。国際婦人年でもあったこの年は、本部企画「婦人問題」で多いときは100人近い人を集めた。企画数は350にのぼったが、喫茶店、ディスコが半数を占める傾向は数年来のもの。グランドフェスティバルに出場した東大生演歌歌手山本智恵美が人気を呼んだ。

第25回駒場祭(1974年:昭和49年)

第25回駒場祭

開催日時

1974年(昭和49年)11月15日~17日

テーマ

駒場の学友諸君、駒場を訪れたみなさん、
ともに唱い、ともに語り、
友情と連帯の輪を築きあげましょう!

概要

写真を基調にした奇抜なデザインで人目を引いたポスターは「型破りで面白い」「破廉恥きわまる」と賛否両論。本部企画の「刑法改正」「教科書裁判」などのシンポジウムは熱心な聴講者を集めた。他に岡本太郎、永島慎二、小林麻美、カルメン・マキ&OZらが来た。「東大生実態調査」が行われた。クラス映画で「愛と誠」の撮影中、ケチャップまみれになった役者を見た近くの主婦が内ゲバと勘違いして一一〇番、機動隊が出動という珍事件もあった。

第24回駒場祭(1973年:昭和48年)

第24回駒場祭

開催日時

1973年(昭和48年)11月9日~11日

テーマ

我等の開く扉は
真に人民に貢献する学問の扉
我等の開く扉は
日本の文化を豊かにする扉
我等の開く扉は
真に日本の平和を築く扉
我々の開く扉は
我々自身の力で開く扉

概要

初日、二日目と雨だったが、最終日は日本晴れで3万人の人出を集めた。革マル派と中核派が相次いで内ゲバを起こした銀杏並木もこの日ばかりは模擬店や来場者で賑わった。本部と生協主催の日フィルコンサートが満員となる一方、ロック研が呼んだキャロルとチューリップの公演にも長蛇の列ができた。歌手公演が企画のメインになりだす。

第23回駒場祭(1972年:昭和47年)

第23回駒場祭

開催日時

1972年(昭和47年)11月17日~19日

テーマ

眼ざまし時計のベルを鳴らせ
睡り込んだ教養学部を呼びさまそう
若き生命の問いかけに応えうる大学の創造を

概要

学費闘争の中で大学をとらえる企画が目立った。公害問題、列島改造論に関する企画も多かった。路上で行われた10メートル四方の大麻雀が人気を集めた。駒場祭への取り組みの遅れが慢性化。模擬店や喫茶店が手っ取り早いものとして急増する。ロマンポルノ弾圧事件に関してディスカッションが行われたが、映写会にのみ人が集まった。タコ焼きがよく売れた。

第22回駒場祭(1971年:昭和46年)

第22回駒場祭

開催日時

1971年(昭和46年)11月12日~14日

テーマ

破産通告に揺らぐ侵略者の砦
友よ、今こそ歴史の舞台に飛翔せよ!

概要

沖縄返還協定粉砕の長期ストの中で68年に続き2度目のストの中の駒場祭となった。企画内容ではやはり沖縄問題が中心となった。時間が十分とれたため、大半の企画が初日までに準備を終えることができたと言う。また、この期間、銀杏並木には工事で溝ができ、渡ると泥だらけになってしまった。なぜか水飴がやたらと売れた。

第21回駒場祭(1970年:昭和45年)

第21回駒場祭

開催日時

1970年(昭和45年)11月1日~3日

テーマ

告発せよ 取りもどせ 不安を怒りへ 怒りを力に!!

概要

69年の入試中止のため、1年生1学年だけで行われたが、公害問題、教育問題を中心にクラス企画も多く、また、東大闘争の成果の一つとして始まった駒場の自主ゼミからの企画もあり、多彩なものとなった。一号館が喫茶店のデパートとなったのはこの頃から。委員会側は赤字を出さぬよう財政面ではかなり苦労したようだ。