第37回駒場祭(1986年:昭和61年)

第37回駒場祭

開催日時

1986年(昭和61年)11月22日~24日

テーマ

朝に道を聞いても 夕べに死んではもったいない

概要

前年の六項目確認書批判を受けて、この年から新たに企画団体自らによる自主規律が制定されることとなり、駒場祭運営の基本精神が盛り込まれることとなった。この年は委員会の立ち上がりが遅く、「円高不況」と重なって広告収入が前年度より激減し苦しい運営を迫られることとなった。広告収入減少問題は週刊誌にも大きく紹介された。また、例年目玉企画を行ってきたアイドルプロデュース研が入場料徴収禁止に疑問として、この年は不参加を表明した。この頃から模擬店が、タコ焼き、焼きそばからバラエティー化してきた。変わった企画としては、本部企画として、4メートルほどの木製の舟を路上に置き、通りがかる人に落書きをしてもらったり、釘を打ってもらったりなどして3日間で舟を完成させようというものがあった。また、第一体育館では、内側全面を布で覆い、遊牧民族の移動住居「パオ」に見立てて、中に舞台や客席を設営し、舞踏家、ロックバンド、映画の上映などを行うという大がかりな企画が行われたが、スポンサー提携の形式が問題となった。以後の駒場祭では、スポンサーの問題は顕著になっていく。他に詩人の谷川俊太郎氏らが言葉に関する対談を行った。この年から淡青祭は独立して行われるようになった。