第32回駒場祭(1981年:昭和56年)

第32回駒場祭

開催日時

1981年(昭和56年)11月21日~23日

テーマ

時代の奔流に 世界が眠り込む今 真理を叫べ
警鐘を鳴らせ 世紀末の暗雲を突き破り 飛翔しよう!

概要

恋人リサーチ企画が現れ始める。石川ひとみコンサートでは大観衆が押し寄せ、2時間の予定のコンサートが30分で中止された。インフォメーションセンター(案内所)が構内各所に設置された。また、バスケットボール部との協力で身障者バスケットボール企画が本部企画として行われた。また、懸案事項であった規約がようやく承認、発効の運びとなった。参加を拒否された原理研と反原理共闘のメンバーが正門付近で論争を始め、人の流れが長時間滞った。

第31回駒場祭(1980年:昭和55年)

第31回駒場祭

開催日時

1980年(昭和55年)11月22日~24日

テーマ

さあ、踏みだそう 湧きおこる理性の声を
体現しよう 未来は我らが切り拓くのだ

概要

この年の人気企画もコンサート中心で、ジューシーフルーツ、浅野ゆう子らが招かれた。最終日には当時一世を風靡したタケノコ族も登場するお祭り騒ぎとなった。この年から文三劇場が始まり、多くの演劇企画が協力体制を組んで運営されることとなった。

第30回駒場祭(1979年:昭和54年)

第30回駒場祭

開催日時

1979年(昭和54年)11月23日~25日

テーマ

歴史を創り出す若人よ 真理の探究者よ
眩惑を断ち真実を見つめよ
若き魂の 不断の燃焼と昇華を求めて
新たなる時代へ旅立とう

概要

第30回ということで、前日全面休講が実現し、期日もこれ以降は3日間が完全に定着する。東大闘争直後から課題となっていた規約が制定に向けて動き出したが、不成立となり問題は先送りになった。解放派が駒場祭直前に駒場寮を占拠、警察を入構させる事態に続き、駒場祭期間中3日間にわたって(旧)233番教室を占拠。革マル派と接触し、小競り合いも起こった。企画数が700近くに激増。「モラトリアムの中の若者」といった企画もあった。

第29回駒場祭(1978年:昭和53年)

第29回駒場祭

開催日時

1978年(昭和53年)11月17日~19日

テーマ

目は太陽をとらえる 手は空へとのびる
しかし 足は地面から離れない
今こそ 土をつかもう 大地を見つめよう
我々は ここに立っているのだから

概要

サザン・オールスターズ、アグネス・チャンが目玉だった。撮影会では人だかりが正門の外まであふれ、構内に入るにも苦労した。硬派の企画でも、栗栖前統幕議長の講演会も300人以上の聴衆を集め立ち見も出るほどの盛況だった。この年から統一教会とつながりのある原理研究会が参加拒否となった。その後長く議論の的となるが、今に至るも解決されていない。

第28回駒場祭(1977年:昭和52年)

第28回駒場祭

開催日時

1977年(昭和52年)11月11日~13日

テーマ

迷妄の時代は 今こそ 新たな展望を求めている
沸き上がる無数の呼気の奔流
巨大な構想を担い 鳴らせ時代の暁鐘

概要

加藤周一氏の講演会に学生が殺到し、熱い討論となった。「宇宙戦艦ヤマト」の上映会も長蛇の列となった。前衛舞踏家の田中泯氏がストリップまがいの「ハイパーダンス」を披露し、問題となった。

第27回駒場祭(1976年:昭和51年)

第27回駒場祭

開催日時

1976年(昭和51年)11月19日~21日

テーマ

見つめよ 我等生きんとする時代を 語るがいい
輝く未来を 創ろうではないか 我等の手で

概要

哲学研究会と共催の本部企画「現代社会と物象化」が最大の人気を集めた。”遊び”ムードの強い駒場祭では本部企画は低調な年が続いたが、この企画には300人を越す入場者であふれた。女性人気タレント投票で一位になった太田裕美を応援部が第一回淡青祭に出場させ、人気を集めた。

第26回駒場祭(1975年:昭和50年)

第26回駒場祭

開催日時

1975年(昭和50年)11月14日~16日

テーマ

広場へ行こう こんな時こそ こんな危機にこそ
駒場のエネルギーを感じたい 駒場の広場は
皆が話し合う 皆が理解し手を結びあう
駒場の英知と創意とエネルギーの総結集だ!
壁を知らない青年の可能性だ! サァ広場へ

概要

駒場祭を控えての10月27日、構内で革マル派の東大生が反帝学評と見られる学生の集団に鉄パイプで襲われ死亡するという惨事が起きた。国際婦人年でもあったこの年は、本部企画「婦人問題」で多いときは100人近い人を集めた。企画数は350にのぼったが、喫茶店、ディスコが半数を占める傾向は数年来のもの。グランドフェスティバルに出場した東大生演歌歌手山本智恵美が人気を呼んだ。

第25回駒場祭(1974年:昭和49年)

第25回駒場祭

開催日時

1974年(昭和49年)11月15日~17日

テーマ

駒場の学友諸君、駒場を訪れたみなさん、
ともに唱い、ともに語り、
友情と連帯の輪を築きあげましょう!

概要

写真を基調にした奇抜なデザインで人目を引いたポスターは「型破りで面白い」「破廉恥きわまる」と賛否両論。本部企画の「刑法改正」「教科書裁判」などのシンポジウムは熱心な聴講者を集めた。他に岡本太郎、永島慎二、小林麻美、カルメン・マキ&OZらが来た。「東大生実態調査」が行われた。クラス映画で「愛と誠」の撮影中、ケチャップまみれになった役者を見た近くの主婦が内ゲバと勘違いして一一〇番、機動隊が出動という珍事件もあった。

第24回駒場祭(1973年:昭和48年)

第24回駒場祭

開催日時

1973年(昭和48年)11月9日~11日

テーマ

我等の開く扉は
真に人民に貢献する学問の扉
我等の開く扉は
日本の文化を豊かにする扉
我等の開く扉は
真に日本の平和を築く扉
我々の開く扉は
我々自身の力で開く扉

概要

初日、二日目と雨だったが、最終日は日本晴れで3万人の人出を集めた。革マル派と中核派が相次いで内ゲバを起こした銀杏並木もこの日ばかりは模擬店や来場者で賑わった。本部と生協主催の日フィルコンサートが満員となる一方、ロック研が呼んだキャロルとチューリップの公演にも長蛇の列ができた。歌手公演が企画のメインになりだす。

第23回駒場祭(1972年:昭和47年)

第23回駒場祭

開催日時

1972年(昭和47年)11月17日~19日

テーマ

眼ざまし時計のベルを鳴らせ
睡り込んだ教養学部を呼びさまそう
若き生命の問いかけに応えうる大学の創造を

概要

学費闘争の中で大学をとらえる企画が目立った。公害問題、列島改造論に関する企画も多かった。路上で行われた10メートル四方の大麻雀が人気を集めた。駒場祭への取り組みの遅れが慢性化。模擬店や喫茶店が手っ取り早いものとして急増する。ロマンポルノ弾圧事件に関してディスカッションが行われたが、映写会にのみ人が集まった。タコ焼きがよく売れた。