第22回駒場祭(1971年:昭和46年)

第22回駒場祭

開催日時

1971年(昭和46年)11月12日~14日

テーマ

破産通告に揺らぐ侵略者の砦
友よ、今こそ歴史の舞台に飛翔せよ!

概要

沖縄返還協定粉砕の長期ストの中で68年に続き2度目のストの中の駒場祭となった。企画内容ではやはり沖縄問題が中心となった。時間が十分とれたため、大半の企画が初日までに準備を終えることができたと言う。また、この期間、銀杏並木には工事で溝ができ、渡ると泥だらけになってしまった。なぜか水飴がやたらと売れた。

第21回駒場祭(1970年:昭和45年)

第21回駒場祭

開催日時

1970年(昭和45年)11月1日~3日

テーマ

告発せよ 取りもどせ 不安を怒りへ 怒りを力に!!

概要

69年の入試中止のため、1年生1学年だけで行われたが、公害問題、教育問題を中心にクラス企画も多く、また、東大闘争の成果の一つとして始まった駒場の自主ゼミからの企画もあり、多彩なものとなった。一号館が喫茶店のデパートとなったのはこの頃から。委員会側は赤字を出さぬよう財政面ではかなり苦労したようだ。

第20回駒場祭(1969年:昭和44年)

第20回駒場祭

開催日時

1969年(昭和44年)10月18日、19日

テーマ

団結を! 連帯を! 統一の旗の下に

概要

全共闘に占拠された本郷の安田講堂に機動隊が導入され「落城」。無期限スト解除後も構内は東大闘争の尾を引いており、五月祭は中止に追い込まれた。駒場祭では、「団結を!連帯を!統一の旗のもとに」をテーマに、東大闘争、大学立法闘争から70年安保闘争へという問題意識のもとで大きく盛り上がった。しかし東大闘争の総括などは行われず、むしろその延長上に位置づけられた。企画数が大幅に増加し、準備期間の割に内容が充実していた点などが特徴といえる。委員会企画も有機的に構成され、最終日の「フェスティバル」がこの年から始められた。ディスコも登場。この回は駒場の再建を示すものだったと大いに注目された。

第19回駒場祭(1968年:昭和43年)

開催日時

1968年(昭和43年)11月22日~24日

テーマ

とめてくれるなおっかさん
背中のいちょうが泣いている
男東大どこへ行く
(ポスターのコピー)

概要

東大闘争の無期限ストの中で、学部側との交渉も決裂し、学部側には公認されないまま「自主管理」による駒場祭が開かれた。多くは東大闘争をテーマに扱っていた。橋本治氏作の、「とめてくれるなおっかさん 背中のいちょうが泣いている 男東大どこへ行く」の有名なポスターはこの年のもの。企画準備は混乱の中で進まず、サークル企画はほとんどなかった。

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第18回駒場祭(1967年:昭和42年)

第18回駒場祭

開催日時

1967年(昭和42年)11月11日、12日

テーマ

不明

概要

開催に当たって、日程、使用教室などの学部側による制限、中でも未届団体の参加は認めない、また、企画内容にまで立ち入った学部側の干渉が問題となり、直前まで開催が危ぶまれた。また、この年は、開催中の土曜日の夜、当時の三派系全学連が翌日の「佐藤訪米阻止闘争」と称し、全国から集まった学生活動家約二千人が「宿舎」として第一本館(現1号館)、900番教室、(旧)202教室を占拠するという事件があった。翌日の昼までに退去したがキャンパス内は混乱した。駒場祭委員会は、占拠学生との間に確約をとり、展示物については支障はなかった。

第17回駒場祭(1966年:昭和41年)

第17回駒場祭

開催日時

1966年(昭和41年)11月12日、13日

テーマ

不明

概要

正門前に駒場祭委員会が大きな構造物でアーチを作ったが、多くの学生から「低俗」だと批判されるなど委員会と学生が遊離していたようだ。学生会館前に模擬店が登場。矢内原公園では歌声祭典が開かれた。

第16回駒場祭(1965年:昭和40年)

第16回駒場祭

開催日時

1965年(昭和40年)11月13日、14日

テーマ

観念の原点よりも 認識と科学の原点を

概要

日韓条約の衆議院本会議強行採決直後という緊迫した情勢の中で開催された。企画は、日韓条約と教科書問題の二つが柱となったが、当時の人気マンガ「おそ松くん」と「オバQ」の姿も至る所に見られた。

第15回駒場祭(1964年:昭和39年)

第15回駒場祭

開催日時

1964年(昭和39年)11月14日、15日

テーマ

平和観念の死滅を救え!!
押し返せ反動化 創り出そう未来を
反戦意識の新たなる胎動を!

概要

民青系全学連が安保闘争以来4年ぶりに再建され、後に激しくなる学生運動に向けての重要な年になった。クラス企画が前年の3倍の28企画と急増し、その後のクラス企画の多彩さにつながることとなる。原潜寄港、改憲の動き、日韓会談に対して激しい非難を浴びせた駒場祭だった。

第14回駒場祭(1963年:昭和38年)

第14回駒場祭

開催日時

1963年(昭和38年)11月16日、17日

テーマ

俺たちでつくろう おしきせはごめんだ

概要

例年渋谷方面へ出ていた仮装デモが学生部等の介入で出られなくなったが、「総花的」の傾向が見えた。企画数も一挙に百を越え、盛り沢山となる。祭典以前にも学部側との間にトラブルもあり、駒場祭の自主的な運営・学生の自治が問題となった。またこの年のプログラムの裏表紙には先着500名様に”ハゼの天ぷら券”がついていた。

第13回駒場祭(1962年:昭和37年)

第13回駒場祭

開催日時

1962年(昭和37年)11月17日、18日

テーマ

不明

概要

大学管理法案の国会上程をめぐり、大学自治擁護の闘いが盛り上がる中で開催された。マイカーが増えたのもこの頃。自動車部の展示では借り物の自動車に何かあったら大変と部員一同寝ずの番だったとか。