第12回駒場祭(1961年:昭和36年)

第12回駒場祭

開催日時

1961年(昭和36年)11月18日、19日

テーマ

反体制の新しいいぶきを
真の人間性追求のために

概要

雨に降られて人出が激減し、寂しい駒場祭となった。第6委員会が企画に賞品を出すことになった。「お祭り」化が顕著で、合唱祭が人気を集め、石原慎太郎氏、犬養道子氏の”青春座談会”を見ようと多くの若者が詰めかけた。靴磨きをするという企画が現れた。コチコチのテーマとは裏腹に軟派な企画が増えた。

第11回駒場祭(1960年:昭和35年)

第11回駒場祭

開催日時

1960年(昭和35年)11月19日、20日

テーマ

  1. 安保闘争の教訓を学び、更に民主主義運動を発展させよう
  2. 学問の自由と学園の自治に対する政治権力の介入を阻止しよう
  3. 若き可能性と主体性の追求のために

概要

安保闘争の直後企画では昨年同様安保闘争を取り上げるものが多く、前年とはうってかわった深刻な内容の企画が目立った。サブタイトルに「樺美智子さんに捧ぐ」とあった。予算は174万円。5万人の人出で賑わった。一番売れたのが生協喫茶部のBランチ(70円)と寮食のカレーライス(50円)。後に東大闘争で中心的役割を果たす最首悟氏が委員長を務めたが、「バカ騒ぎだけの祭りならば不要」と言い切った。

第10回駒場祭(1959年:昭和34年)

第10回駒場祭

開催日時

1959年(昭和34年)11月22日、23日

テーマ

  1. 第十回駒場祭を平和と民主主義のために
  2. 安保条約改定の本質究明
  3. 戦争と破壊を目的とした科学の研究には協力しないことを固く誓おう

概要

安保闘争が高揚する中で開かれ、安保を主題にする企画が多かった。政党討論会「安保改定は是か非か」には浅沼稲次郎氏が出席した。仮装行列が初めて行われた。「ムード喫茶」なる企画も出るなど、「祭り」の気分は高まる一方となるが、大江健三郎氏、石原慎太郎氏、江藤淳氏の三氏講演などもあった。

第9回駒場祭(1958年:昭和33年)

第9回駒場祭

開催日時

1958年(昭和33年)11月22日、23日

テーマ

  1. 創造的文化の建設と発展のために
  2. 日本の核武装化反対
  3. 民主教育を権力の支配から守り学園の自治を確立しよう

概要

勤評闘争を反映し、スローガンの中に「民主教育を権力の支配から守り学園の自治を確立しよう」が掲げられ、教育問題を取り上げた講演会、シンポジウムが目立った。松川事件を取り上げた広津和郎氏の講演会もあった。予算は125万円になったがこの年はプログラムの広告でゴタゴタしていた。来場者には小、中学生と女子学生が目立った。有吉佐和子氏の講演がお目当てで、終わった途端蜘蛛の子を散らすように帰ってしまったという。50円のカレーと70円の蒲焼きが好評であった。

第8回駒場祭(1957年:昭和32年)

第8回駒場祭

開催日時

1957年(昭和32年)11月16日、17日

テーマ

  1. 平和と民主主義を守ろう
  2. 創造的文化の建設と発展のために
  3. 原子戦争準備反対

概要

折衝の結果スローガンのプログラムへの刷り込みが認められた。また、向陵会が野良犬の肉を焼いて一串10円で売ったという「焼肉事件」が起こる。セツルメントの部屋で可愛がっていた犬がいなくなったので、食べられてしまったのではないかと心配した女子学生が向陵会に抗議に行ったという話もある。スプートニクの成功に刺激されて人工衛星に関する講演会が多かった。

第7回駒場祭(1956年:昭和31年)

第7回駒場祭

開催日時

1956年(昭和31年)11月17日、18日

テーマ(モットー)

、平和と民主主義と独立のための創造的文化を
二、学問の自由と学園の自治を守ろう
三、市民と学生の交流を

概要

スローガン問題が持ち上がり、禁止の総長訓示が出たりした(モットーならばよいことで妥結)。砂川闘争を反映して構成詩「砂川」の上演などがあった反面、第3回の時にはその像が火あぶりになりそうだった吉田茂前首相が講演し、満員御礼の盛況となり、チグハグであると言われた。

第6回駒場祭(1955年:昭和30年)

第6回駒場祭

開催日時

1955年(昭和30年)11月18日~20日

テーマ

不明

概要

保守合同の年。この年あたりから風刺の精神が薄くなってくる。「僕は君を愛している」「ああ、あなた、死んじゃイヤ」などという科白の芝居が多かった。日ソ交渉の全権大使松本俊一氏の講演が好評を博した。駒場祭財政も年ごとに好転してきていたが、第六回駒場祭では委員長の手腕もあり、45万円の黒字を出している。

第5回駒場祭(1954年:昭和29年)

開催日時

1954年(昭和29年)11月26日~28日

テーマ

不明

概要

九大教室(現在の九百番教室)の改修工事が遅れ、日程が延期されるなど、一時は開催すら危うくなった。これは前年に引き続き演劇の企画が多くなった上に、キャンパスの不整備から舞台にのせる芝居の数が少なく問題化したため。しかし、ふたをあけてみるとどの芝居も不入りだったようだ。ちなみに当時プログラムの値段は1部40円だった。

第4回駒場祭(1953年:昭和28年)

開催日時

1953年(昭和28年)11月21日~23日

テーマ

平和と友情のために

概要

カンニングでの退学者が六人にも及び、学生のモラル低下が叫ばれた。映画研究会は、記録映画「東大教養学部」を上映した。航空部は、朝日新聞社の協力で、同社の飛行機から祝賀ビラ数千枚を撒いてもらうなど華やかな駒場祭となった。また、この年初めてフォークダンスが行われた。

第3回駒場祭(1952年:昭和27年)

開催日時

不明

テーマ

不明

概要

サンフランシスコ講和条約が締結された年。野外ページェント、駒場寮デコレーションが登場(復活)した。寮デコの内容が占領軍への誹謗にあたるとGHQに指摘されて以来、大学側は当初どうしても許可しようとしなかったが、委員長が大学との強引な交渉の末承認させた。ちなみに、この年の予算は、50万円ほど。