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第16回駒場祭〜第20回駒場祭
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第16回駒場祭
1965年(昭和40年)11月13、14日
観念の原点よりも 認識と科学の原点を

 日韓条約の衆議院本会議強行採決直後という緊迫した情勢の中で開催された。企画は、日韓条約と教科書問題の二つが柱となったが、当時の人気マンガ「おそ松くん」と「オバQ」の姿も至る所に見られた。

第17回駒場祭
1966年(昭和41年)11月12、13日
(テーマ不明)

 正門前に駒場祭委員会が大きな構造物でアーチを作ったが、多くの学生から「低俗」だと批判されるなど委員会と学生が遊離していたようだ。学生会館前に模擬店が登場。矢内原公園では歌声祭典が開かれた。

第18回駒場祭
1967年(昭和42年)11月11、12日
(テーマ不明)

 開催に当たって、日程、使用教室などの学部側による制限、中でも未届団体の参加は認めない、また、企画内容にまで立ち入った学部側の干渉が問題となり、直前まで開催が危ぶまれた。また、この年は、開催中の土曜日の夜、当時の三派系全学連が翌日の「佐藤訪米阻止闘争」と称し、全国から集まった学生活動家約二千人が「宿舎」として第一本館(現1号館)、900番教室、(旧)202教室を占拠するという事件があった。翌日の昼までに退去したがキャンパス内は混乱した。駒場祭委員会は、占拠学生との間に確約をとり、展示物については支障はなかった。

第19回駒場祭
1968年(昭和43年)11月22〜24日
とめてくれるなおっかさん
背中のいちょうが泣いている
男東大どこへ行く
(ポスターのコピー)

 東大闘争の無期限ストの中で、学部側との交渉も決裂し、学部側には公認されないまま「自主管理」による駒場祭が開かれた。多くは東大闘争をテーマに扱っていた。橋本治氏作の、「とめてくれるなおっかさん 背中のいちょうが泣いている 男東大どこへ行く」の有名なポスターはこの年のもの。企画準備は混乱の中で進まず、サークル企画はほとんどなかった。


第20回駒場祭
1969年(昭和44年)10月18、19日
団結を! 連帯を! 統一の旗の下に

 全共闘に占拠された本郷の安田講堂に機動隊が導入され「落城」。無期限スト解除後も構内は東大闘争の尾を引いており、五月祭は中止に追い込まれた。駒場祭では、「団結を!連帯を!統一の旗のもとに」をテーマに、東大闘争、大学立法闘争から70年安保闘争へという問題意識のもとで大きく盛り上がった。しかし東大闘争の総括などは行われず、むしろその延長上に位置づけられた。企画数が大幅に増加し、準備期間の割に内容が充実していた点などが特徴といえる。委員会企画も有機的に構成され、最終日の「フェスティバル」がこの年から始められた。ディスコも登場。この回は駒場の再建を示すものだったと大いに注目された。


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