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第26回駒場祭〜第30回駒場祭
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第26回駒場祭
1975年(昭和50年)11月14〜16日
広場へ行こう こんな時こそ こんな危機にこそ
駒場のエネルギーを感じたい 駒場の広場は
皆が話し合う 皆が理解し手を結びあう
駒場の英知と創意とエネルギーの総結集だ!
壁を知らない青年の可能性だ! サァ広場へ

 駒場祭を控えての10月27日、構内で革マル派の東大生が反帝学評と見られる学生の集団に鉄パイプで襲われ死亡するという惨事が起きた。国際婦人年でもあったこの年は、本部企画「婦人問題」で多いときは100人近い人を集めた。企画数は350にのぼったが、喫茶店、ディスコが半数を占める傾向は数年来のもの。グランドフェスティバルに出場した東大生演歌歌手山本智恵美が人気を呼んだ。

第27回駒場祭
1976年(昭和51年)11月19〜21日
見つめよ 我等生きんとする時代を 語るがいい
輝く未来を 創ろうではないか 我等の手で

 哲学研究会と共催の本部企画「現代社会と物象化」が最大の人気を集めた。”遊び”ムードの強い駒場祭では本部企画は低調な年が続いたが、この企画には300人を越す入場者であふれた。女性人気タレント投票で一位になった太田裕美を応援部が第一回淡青祭に出場させ、人気を集めた。

第28回駒場祭
1977年(昭和52年)11月11〜13日
迷妄の時代は 今こそ 新たな展望を求めている
沸き上がる無数の呼気の奔流
巨大な構想を担い 鳴らせ時代の暁鐘

 加藤周一氏の講演会に学生が殺到し、熱い討論となった。「宇宙戦艦ヤマト」の上映会も長蛇の列となった。前衛舞踏家の田中泯氏がストリップまがいの「ハイパーダンス」を披露し、問題となった。

第29回駒場祭
1978年(昭和53年)11月17〜19日
目は太陽をとらえる 手は空へとのびる
しかし 足は地面から離れない
今こそ 土をつかもう 大地を見つめよう
我々は ここに立っているのだから

 サザン・オールスターズ、アグネス・チャンが目玉だった。撮影会では人だかりが正門の外まであふれ、構内に入るにも苦労した。硬派の企画でも、栗栖前統幕議長の講演会も300人以上の聴衆を集め立ち見も出るほどの盛況だった。この年から統一教会とつながりのある原理研究会が参加拒否となった。その後長く議論の的となるが、今に至るも解決されていない。

第30回駒場祭
1979年(昭和54年)11月23〜25日
歴史を創り出す若人よ 真理の探究者よ
眩惑を断ち真実を見つめよ
若き魂の 不断の燃焼と昇華を求めて
新たなる時代へ旅立とう

 第30回ということで、前日全面休講が実現し、期日もこれ以降は3日間が完全に定着する。東大闘争直後から課題となっていた規約が制定に向けて動き出したが、不成立となり問題は先送りになった。解放派が駒場祭直前に駒場寮を占拠、警察を入構させる事態に続き、駒場祭期間中3日間にわたって(旧)233番教室を占拠。革マル派と接触し、小競り合いも起こった。企画数が700近くに激増。「モラトリアムの中の若者」といった企画もあった。


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